飯田善國先生は、足利市出身の彫刻家です。 大学卒業の後、1956年にローマに渡り、ウィーン、ベルリンなどヨーロッパ各地を舞台に活躍し、67年に帰国しました。帰国後は彫刻に加え、ステンレスのモニュメントや評論、詩作など多彩な活動を続け現在に至っています。わが国を代表する現代彫刻家のひとりであり、近年、画家時代の活動に着目する展覧会も数多く開催されています。 |
「飯田義国」先生の少年時代
昭和5年 (1930) 筑波尋常小学校に入学(現筑波小学校) ”小曽根の家のケヤキの大黒柱を抱いたときの安心感、柳の枝でおもちゃを作るときの肌触り、ナマズをつかんで手に残る感触・・・。” ”戸外の写生を経験したのは、それが初めてだったと思う。<中略>先生は私の絵を見て、驚いた顔で「おっ、これはいいぞ。君は未来の横山大観になれるかもしれないぞ」とほめてくれた。 昭和11年 (1936) 旧制館林中学校(現館林高校) ”梅原さんの絵を初めて見たのは、中学2年のときである。図工の時間に石井清夫先生が原色版の薔薇図を見せてくれた。<中略>初めて見る梅原龍三郎だった。色彩の美しさとあざやかさが印象深かった。” ”中学3年ぐらいから、私の愛する画家はゴッホだった。なぜそうなったかではなく、ゴッホの絵を見た瞬間から、どうしようもなくその魔力に捕らえられてしまった。” 油絵から彫刻へ 当初油彩を学ぶ目的でローマに渡り(1956年)、ヨーロッパでの絵画修行の第一歩は、チルコロ・インターナショナル研究所でのクロッキー(素描)をすることでした。 ここで飯田先生は「彫刻をやりたいという欲求が頭をもたげるのに気付き、彫刻家のファッツィーニの教室に通い、初めて彫刻を勉強します。 居をローマからウィーンに移した後、ベネツィアでヴォルスの絵画に「それまで築き上げてきたリアリズムの土台が、根底から崩壊してしまうような」強い衝撃を受け、さらにミュンヘンでムーアの大回顧展を見たことで、本格的に彫刻家としての道を歩み出しました。 初期作品
滞欧期の作品
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